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御祭神
天照皇大御神・応神天皇・天児屋根命・加納直盛公・大山祇神・宇賀能御魂神・火之迦具土神・大物主神・建速須佐之男神・五男三女神・菊理比賣神・大綿津見神・菅原道真公・國津大神
(十四柱)
美波多神社略史
お宮さんと新田地区の歩み
承応三年(1654)~
加納直盛公、新田水路を現・青山町高尾より延伸し、新田村の開墾と発展に尽力
高原で用水の便を欠く荒野原であったが為に計画は困難を極め、工事は息子の直堅の代まで及んだ
承応年間
新田村の村民が氏神として三柱神社を勧請
享保十六年(1731)十一月七日
新田村開墾の恩人として加納直盛公の遺徳を顕彰する為に、三柱神社内に加納神社を創設
明治四十年(1907)
山神社及び愛宕神社を合祀、大御原神社と改称
明治四十三年(1910)三月
東田原・九頭神社、中村・國津神社、小波田・福田神社を合祀
美波多神社と改称、現在に至る
加納直盛公
慶長十五年(1610) 伊賀上野生まれ
藤堂藩に仕え、伊賀加判奉行職。
当時、水の便悪く荒野原であった新田地区の開発に尽力し、用水家としても名を残す。
延寶元年(1673) 六十三歳で病死
現・伊賀市上野寺町の大超寺に墓所がある。
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